“フリッパーズ・ギター(渋谷系)周辺のミュージシャンとはっぴいえんど(1969〜1972年)周辺のミュージシャンの違いは、「作詞家や作曲家としてもその後の日本の音楽シーンに大きな痕跡を残していない」こと。
はっぴいえんどではバンド解散後にまず作詞家として歌謡曲の世界に飛び込んでいった松本隆が芸能界とのパイプとなり、自分の周辺にいるミュージシャンたちを歌謡曲 / アイドル・ソングの世界へと引き込んで、そのミュージシャンたちの共同作業によって現在まで愛され続けている夥(おびただ)しい数の名曲を日本のポップ・ミュージック史に残すこととなった。
渋谷系には「松本隆」がいなかった。” / 宇野維正『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書, 2016年) https://amzn.to/312lC2Y p.68
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